ベルリン[Berlin]郊外、ポツダム[Potsdam]に行く途中にヴァン湖[Wannsee]という湖があります。
この湖畔で1942年ナチス上層部の会議が開かれ、ユダヤ人の移送と殺害の計画について話し合われました。
現在会議の行われた場はヴァンゼー会議記念館[Gedenkstätte Haus der Wannsee-Konferenz]となっていて、無料で見学することができます。
当時の資料や写真などが展示され、どのようにユダヤ人が迫害されていったのかを知ることができます。
ベルリン西部にグルーネヴァルト[Grunewald]というSバーンの駅があります。
1941年から1945年の間、この駅から5万人以上のユダヤ人が東方の強制収容所・絶滅収容所へ移送されました。
現在は使われていない17番線が記念碑[Das Mahnmal am Bahnhof Grunewald, Gleis 17]として残されています。
17番線には鉄板が敷き詰められ、1枚1枚の鉄板に、何月何日、何人のユダヤ人がどこへ移送されたかということが書かれています。
敷き詰められた数多くの鉄板を見ると、どれだけ多くの方々が移送されていったのかがわかります。
ブランデンブルク門[Brandenburger Tor]のすぐ近くに虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑[Denkmal für die ermordeten Juden Europas]があります。
以前訪れたことがあったのですが、再度地下の情報センターを見学しました。
ドイツ語を勉強したおかげで前回よりも理解が深まりました。
見学を終えて地上に戻り、大きなブロックの記念碑を見ていると、いろいろ考えさせられました。