駅から歩いて20分くらいのところにザクセンハウゼン強制収容所跡[Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen]があります。
駅から歩いていても私のように強制収容所跡へ向かっているような人はおらず、不安になりましたが、しばらく歩くと駐車場にバスが何台か停まっていて人が降りてきていたので安心しました。
展示されているバラックや亡くなった方の遺品を見学しました。
高校生ぐらいの方々がたくさん見学に来ていました。
ドイツでは学校でこのような戦争の跡に見学に行くと聞いたことがあります。
過去を忘れないために必要なことです。
ブランデンブルグ門から5分くらい歩いたところに虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑[Denkmal für die ermordeten Juden Europas]があります。
ここには大きな2711本のブロックがあります。
ブロックは高さがひとつひとつ違っていて、間を通り抜けることができます。
地下は情報センターになっていて、無料で入ることができます。
情報センターに入場するために並んで待っていると、係員のお兄さんに日本人ですかと声をかけられました。
何で日本人だと分かったのだろうとビックリしながらも、そうですと答えると、日本語のパンフレットをくれました。
展示はすごい量で、じっくり見ているとあっという間に時間が過ぎていました。
中はずっと重圧感のようなものが広がっていて、重たい空気に包まれている感じがしました。
でも、ドイツで、周辺国で第二次世界大戦中に何が行われていたかを知るにははずすことができないと思いました。
帰りにパンフレットをくれた係員のお兄さんにあったので、挨拶すると、さようならと言ってくれました。
ベルリンにはところどころにベルリンの壁[Berliner Mauer]が残っています。(左)
こちらはテロのトポグラフィー[Gedenkstätte Topographie des Terrors]という場所で、残された壁の下にナチスの時代の写真や資料を野外展示しています。(中)
元々はゲシュタポ、SS本部があったところのようです。
また、壁は撤去されてしまっても壁があった跡にはしるしがありました。(右)
これをたどればどこに壁が築かれていたかがわかります。
壁の跡にはBERLINER MAUER 1961-1989と書かれていました。
かつて国境検問所チェックポイントチャーリーがあった跡に壁博物館・チェックポイントチャーリー[Museum Haus am Checkpoint Charlie]があります。
ここでは東ベルリンの人々がどのようにして西ベルリンに逃れようとしたのか、壁を越えようとしてどのような悲劇が生まれてしまったのかを知ることができました。